人生で最初に「積んだ」ゲームを覚えていますか?


積みゲー」とは何か。『テトリス』的なパズルゲームのことを指す場合もあるが、ここでは「買ったけど最後まで遊ばずに(あるいは一度も遊ばずに)放置してしまったゲームソフト」として読んでください。
面白いゲームソフトが質的にも量的にも不足していた1980年代、私は「積みゲー」とは無縁だった。仮に積んでみたところで、かわりに遊ぶゲームソフトが潤沢にあるわけでもないからだ。たとえつまらないファミコンソフトでもきっちりクリアして売却し、それを資金にして次のソフトへ、という理想的なサイクルを維持していたのである。理想的なのか。
やがてメガドライブPCエンジンといったゲーム機、そしてX68000のような高性能なパソコンが登場し、さまざまなジャンルの面白いゲームが大量に出回るようになってくると、あの「理想的なサイクル」に停滞が生じるようになる。「積む」ことと「面白いゲームが増える」ことの間には密接なかかわりが存在するのだ。私が最初に「積んだ」ゲームは、1990年代前半に光栄(現・コーエーテクモ)さんが発売した『三国志III』(X68000版)だったと思う。
ファミコン版『三国志』(1988年)のノリ(比較的シンプルでわかりやすいゲーム内容とかデカいフォントとか)を期待して購入した『三国志III』だったが、意に反して中身がかなり複雑化していた。戦闘がクォータービューになったのには感動したけど、とにかくコマンドが細かくなって実行できることが増え、「これは真面目にやりだしたら長くやりそう」と尻込みしたのをはっきり覚えている。そして「いつか暇になったら遊ぼう」とか言ってX68版『悪魔城ドラキュラ』か何かに逃避。「いつか」は永遠に来ない、と近藤麻理恵さんがおっしゃっていた通り、私のX68版『三国志III』にも「いつか」は訪れず積みゲーの山の礎となったのであった。
その一方で、『三国志III』とだいたい同じ時期に光栄さんが発売した『ロイヤルブラッド』(架空の中世北欧ファンタジー的な世界観が採用された歴史シミュレーションで、三国志シリーズよりも難易度が低め)は夢中でやり込んだので、けっきょく私には『三国志III』は(世界観・難易度的に)合わなかった、ということなのかもしれない。のちに私はGBA版やDS版の『三国志』を購入してぼちぼちプレイし、あのとき積んだ『三国志III』の供養をさせていただいたのでした。供養って。
お金を払って購入するぐらいだから、そのゲームが好きだったり興味や期待を持っていたはずなのに、なぜか「積みゲー」と化してしまう。その理由もさまざまだろう。特に、人生で最初に「積んだ」ゲームは、その人それぞれの歴史や物語を伴っているような気がする。あなたは人生で最初に「積んだ」ゲームを覚えていますか。