DS版『カールじいさんの空飛ぶ家』で考えた。「なぜ版権ゲームはつまらないのか」

morisawajun2009-12-17

イーフロンティア■DS■2009年12月3日発売■アクション■5,040円(税込)■★★★☆☆

皆さんは見ましたか、『カールじいさんの空飛ぶ家』。世間の評判通り、冒頭の10分で涙が止まらなかった。悪役の冒険家がちょっと気の毒な身の上なのに、まるでマッドサイエンティストみたいな扱いでちょっとかわいそうだったけど、映画はとても面白かった。映像のレベルも、もう「実写に匹敵する」みたいな形容が体をなさないぐらい、どえらいところまで進化していた。
アニメの事はよく知らないけど、ピクサーという会社はすごい。『トイ・ストーリー』からこっち、出す映画ぜんぶ当ててる。『カーズ』とか多少微妙なのもあったけど、四捨五入したら打率10割って感じだ。しかし、そのピクサー映画をゲーム化した作品はそうでもない。メガドライブ版の『トイ・ストーリー』以降、これまで何本ものピクサー原作ゲームをプレイしてきたけど、映画の出来に比してゲームの方はせいぜい普通の出来で、しかも映画と微妙に違うストーリー。で、DS版『カールじいさんの空飛ぶ家』もやっぱりそんな感じのゲームであった。このDS版、映画の存在を忘れてゲームとして見ると至って普通だ。攻撃が得意なカールじいさんと、移動が得意なラッセル少年、という性能の違う二人を操作して進んで行くという内容で、二人とも操作できる『ICO』って感じ。ステージをクリアするごとに徐々に要素が増えて難しくなっていくし、レベルデザインもわりとちゃんと考えてある。でも映画の突出した出来に比べると、ゲームの出来はかなり平凡と言わざるを得ない。

ピクサーに限らず、いわゆる版権ゲームはなぜ凡作が多いのか。私はその理由が「完成されたキャラクタや世界観が足を引っ張る」ためだと考えていた。ゲーム制作者が納得のいく面白いゲームを完成させるためには、映画やアニメですでに完成されたキャラクタや世界観は制約となるのではないか。

かつて、タイトー任天堂手塚治虫の「ジャングル大帝」のゲーム化権を取得したけど、両社とも発売に至らなかった。「ジャングル大帝」の完成されたキャラクタや世界観を壊さずに、自分たちも納得のいく面白いゲームを完成させる事が出来なかったために、タイトー任天堂はゲーム制作を断念したんじゃなかろうか。今回のDS版『カールじいさんの空飛ぶ家』を含めて、ピクサー映画のゲーム化作品はそのへんを妥協した結果の産物だと感じる事が多い。

その一方で、明確に線引きはできないけど「面白いゲームにできる原作」もあると思う。たとえば「ドラゴンボール」「機動戦士ガンダム」なんかはキャラクタ・メカニック同士が戦う要素があり、なおかつ暴力に対する許容度も高そうなので、テレビゲームと比較的相性が良さそうな気がする。しかし、映画『カールじいさんの空飛ぶ家』にはゲームに向いてる要素がなさすぎる。登場するのはじいさん二人と子供と家と犬だ。ゲーム化するという発想自体が無茶振りって気もする。

というわけで、DS版『カールじいさんの空飛ぶ家』は凡作でもしょうがないよね版権ゲームだし、で本稿は終わりにしようと思っていたのだが、何気なくネットを探してみたら「なぜ子供向けの版権ゲームはクソなのか?(Why do licensed kiddie games suck?)」というどえらい記事を見つけてしまった。何とこの記事では、DS版『カールじいさんの空飛ぶ家』を含むピクサー映画のゲーム制作を担当している会社の人が直々にコメントしている。私の怪しい訳で申し訳ないが、彼の言い分の一部を引用する。

Why do licensed kiddie games suck? | GamesRadar+

  • 子供向けのゲームだけをやり玉にあげるのはフェアではない。大人向けのゲームにも、いいものもあればダメなものはある。
  • 内容の良さと売り上げは直結しないし、内容の善し悪しだけを言われても困る。特に『カーズ』のゲーム版は、映画に匹敵する稼ぎをもたらした。
  • 『ヘイロー』のようなゲームと同列にレビューしないで欲しい。
  • 「本当に欲しがっているお客さん」が買っていると考えてほしい。単に「インタラクティブな体験」をしたいお客さんもいれば、「ビデオゲーム」で遊びたいと考えるお客さんもいる。両者は同じではない。
  • ピクサーのゲームが好きなお客さんは、映画の世界やキャラクタと交流を深められる唯一の機会がピクサーのゲームで遊ぶ事だ、という事を知っている。

一言で言うなら、「子供の客に合わせて作っていて、その子供が満足してるんだからそれでいい」という事だろうか。確かにそう言われたら反論の余地はない。ターゲットユーザーではない私(大人)がどうこう言う問題じゃないからだ。映画版と多少お話が違ってても、ゲームとしては凡作であっても、映画に出てきたキャラクタと子供がインタラクティブに接する機会は確かにそこにしかない。でもそれって、クローバーが売ってたガンダムのおもちゃとどう違うんだ、とも思う。クローバー版のガンダムを手にした子供はそれで満足するかもしれないけど、大人が見れば醜怪を通り越してギャグみたいな代物だ。

あれほどひどくはないにせよ、ピクサーの映画とゲームの間には、いろんな意味でかなりの隔たりがある。その隔たりを埋められないなら、いっそゲーム化なんてやめちゃえよ、と言い出しそうなナイーブな人たちがピクサーには大勢いそうな気がしてたんだけど、世界を相手に商売する会社の経営ってそんなナイーブな態度じゃ勤まらないってことか。ジブリが「風の谷のナウシカ」を最後にゲーム化を一切やらなくなったのは正解かもしれない。