NGP(次世代PSP)の報道で感じた、いくつかのこと


私はニンテンドーDSPSPも2台ずつ買ったし、今でもちゃんと毎日使っている(DSは主に万歩計の集計マシン、PSPは「トルネ」の外部ディスプレイとして、だけど)。そして、先日ニンテンドー3DSを予約した。
そんな私がNGP(次世代PSP)と3DSについて感じたことを順不同に書いてみた。結論から言うと、「3DSは楽しみだけどNGPはもう少し様子を見たい」という感じだ。


任天堂SCEのブレなさ加減って何なんだろう。岩田・宮本体制の任天堂がブレないのは当然としても、久夛良木さんが不在のSCEがブレてないってのはちょっと意外だった。
・でも、今回SCEが狙っている市場は、もしかすると宮本茂さんの言う「食い荒らされて物量でいかないと勝てないしんどい分野」なんじゃないのかな。
・私は、いわゆる“ビデオゲーム”の進化において、PS3Wiiに勝ったと思う。しかし、それは「ウォークマンiPodの売上に勝った」というのと似てる。
・私は、たとえ外出先だとしても、ブルーレイの映画ソフトを小さい画面で見るのはもったいないなあと感じる。なので、コナミ小島監督が「PS3とNGPはクラウド経由で同じゲームが遊べるかも」とおっしゃっていたが、PS3レベルの高画質なゲームはできれば家のPS3+大画面テレビで遊びたいと思う。
・そもそも、ビデオゲームにおいて「クラウド」ってのはそこまでツブシの効く概念にはなり得ないような気がする。
新清士さんがソーシャルゲームに感じる「薄気味悪さ」が、私にはものすごくわかる。でも、現段階におけるビデオゲーム機の世代をまたぐキャズムの底にこの「薄気味悪さ」は粛々と流れており、3DSはこのキャズムをまたぐ気があんまりなさそうに見えるが、NGPはむしろ積極的にまたぐ気満々という感じがする。
・EAの人が「シングルプレイは終わった」と言ってるけど、私はむしろ逆で、個人的に大好きな『コール・オブ・デューティー』にしても『アンチャーテッド』にしても、極端な話シングルプレイにしか興味がない。私は、ゲームを作っている人たちがBD-ROM(あるいはROMカートリッジ)に込めた「ゲームプレイヤーへの挑戦」だけを楽しみたい(たとえそれが25時間で終わるものだとしても)。熟練度やチートで勝敗が決まる可能性が高いネット対戦なら、あんまり関わりたくないなあと思っている。
・私の家は7人家族だが、DSが圧勝している。DSは7人全員ほぼ毎日使っているのに、PSPは2人しか使っていない。
・わが家のこういう状況を作った大きな理由の一つが「脳トレ」だった。DS vs PSPの戦いを制したのが「タッチジェネレーションズ」と任天堂が名付けている一連の作品、簡単に言えば「脳トレ路線」であった。少なくともわが家では、いわゆるビデオゲームとしての面白さでDSがPSPに勝利したわけではない。
・しかし、任天堂はこの「タッチジェネレーションズ」というブランド名を3DSでは使わない、と明言している。
・だとすると、「脳トレ」にかわる強力な普及策を任天堂は持っているはず。
・果たしてそれをいつ公開するのか。それとも3DSにはそういう策が織り込まれているのか。立体視コモディティ化する前にそれを行使できるのか。
・私が3DSを入手したら、安価かつ手軽で個性的なゲームをiOS(携帯端末)で楽しみ、立体視を活用したユニークなゲームを3DSで楽しんで、巨額の資本が投じられた最先端のゲームを大画面+PS3で楽しむ、というような形になると思う。
・この三者スクラムがあまりにもガチガチで、今のところ私の家ではNGPが入り込む余地はないように思える。


最後に、DSとPSPが発表になってから2週間後の2004年5月に私が書いた記事から引用する。

だけど、そういう勝ち負けは消費者にとっては別にどうでもいいことである。他に適当な言い回しが見つからないのであえて言うと、任天堂は「ワン・アンド・オンリー」であってくれさえすれば私は十分である。そもそもPSPとDSの関係を「携帯ゲーム機戦争」とすること自体に無理がある。両者は何から何まで違いすぎる。私は以前ここで「任天堂は、みんながマラソンやってるのに一人だけ競技場を抜け出して卓球を始めてしまった」というようなことを書いた。任天堂は、ある時期を境にある場所から「降りた」。DSでそれがより顕著になったと思う。