『ゼルダの伝説』、そろそろファミコン時代に立ち返ってはどうかな

morisawajun2010-01-27

任天堂 ■DS■2009年12月23日発売■アクションRPG■4,800円(税込)■1人用■★★★★
ファミコンテイストで高難度の『NewマリオWii』は一応クリアした私だが、とても楽しみにしていたDS版『ゼルダの伝説 大地の汽笛』はいまだに中盤から進んでいない。今ひとつ楽しくないんである。
NewスーパーマリオブラザーズWii』、全世界で1,000万本突破。しかし『ゼルダの伝説 大地の汽笛』は全世界で173万本(2010年1月末現在、出典はVGChartz)。しかも前者は品薄で価格も安定しているが、後者は在庫がだぶついて価格もダンピング気味である。

マリオとゼルダ任天堂の2大金看板のように並び称されることが多いが、実は売れ行きではマリオが圧倒的に上である。理由を大ざっぱに言えば、マリオの方がシンプルかつ間口が広くて遊びやすく、ゼルダRPGやパズルの要素があるために若干間口が狭く難しい“通好み”のゲームだからであろう。実際、最初のファミコン版の売り上げもマリオが4,024万本、ゼルダが 651万本だった(出典はWikipedia)。

でも、ゼルダシリーズがDSに移ってから若干空気が変わってきた。相変わらず売れ行きに差はあるが、“通好み”だけでは説明のつかない迷いを感じる。私は、制作者の人たちが「DSにおけるゼルダらしさって何?」というアイデンティティの危機に直面しているんじゃないかと思っていた。

着実かつ地味に進化を続けてきた据え置き機用のゼルダシリーズと違って、携帯機用のゼルダシリーズはイレギュラーな歴史を重ねてきた。『4つの剣』(2002年)では4人同時プレイの実験台みたいな扱いだったし、『ふしぎの木の実』(2001年)『ふしぎのぼうし』(2004年)では実際の制作をカプコンが制作し、社外からのユニークなアイデアをゲームに取り入れた。ゲームボーイアドバンス版からは、いわゆる猫目のリンク(据え置き機版で2002年の『風のタクト』で一度だけ採用された、昔の東映動画アニメみたいな絵柄)で統一された。あと、携帯機ならではの自己規制(子供も遊ぶからこの表現はやめとこう、みたいな)も色々ありそうだ。

このように色々な紆余曲折を経て、DSで登場した前作『夢幻の砂時計』は、この紆余曲折を真剣に受け止めた事がわかる内容となっていた。『風のタクト』を引き継いだ東映動画みたいな絵柄と自己規制された世界観はDSの子供っぽいイメージと相まってNHKの人形劇みたいな楽しいムードを醸し出していた。ペンでしか操作できないという割り切りも時々不便に感じるものの、据え置き機では実現できない独特の操作感が心地よかった。あと、猫目リンクの世界観として「海」が継承されたんだけど、『風のタクト』で不評だった「広すぎる海」は狭くなり、航海しやすくなっていた。

でも『夢幻の砂時計』の売れ行きは悪くはないがそれほど良くはなかった(全世界で413万本)。それは、シリーズの様々な因習や制約から逃れられなかった事をユーザーが冷静に判断した結果なのではないかと私は思う。海も船も猫目リンクもタッチペン操作も実は裏目に出たんじゃないか、という。

そして今回の『ゼルダの伝説 大地の汽笛』である。私が最も落胆したのが、「前作と同じエンジンを使っている」という点だった。しかも前作とゲームの構造があまり変わってない。過去のゼルダシリーズで同じエンジンを使った作品と言えば『時のオカリナ』(1998年)と『ムジュラの仮面』(2000年)であるが、後者は「24時間以内にクリアしないと世界が滅ぶ」というとんでもないアイデアが取り入れられていて、まったく別のゲームとして楽しむ事ができた。

でも今回の『大地の汽笛』は、大ざっぱに言えば前作『夢幻の砂時計』と同じゲームだと思う。細かい部分では新しいアイデアが生かされているけど、基本的な部分はほとんど変わっていない。しかも、前作における「海は広くて迷うからやめて下さい」というユーザーからのクレーム対策だと思うんだが(知らないけど)、今回は「海+船」から「線路+汽車」に変更された。これが本当にめんどくさいんだ。直線距離だとあっという間の場所でも、線路を通って大きく遠回りしなければいけない。しかも線路上には敵の汽車がいて、線路だから迂回することができずにゲームオーバーになったりする。これはもうただただつらい。正直、前作『夢幻の砂時計』は1週間もかからずにクリアしたけど、今回はまるで食指が動かない。半分ぐらいまで遊んでまだクリアしてないっす。ごめんなさい。誰にだ。

でも、十字キーとA・Bボタン(とリモコンシェイク)で遊べる、ファミコン時代を彷彿とさせるほどシンプルな『NewマリオWii』は1,000万本売れ、今もどんどん売れ続けている。私も一応クリアした(まだワールド9の途中なんだけど)。正直、腹が立つほど陰湿で意地悪なゲームだったが、抗えないほど面白いゲームに仕上がっていた。

そこで思うんだが、このマリオの成功にならって、十字キーとA・Bボタンだけで遊べる『ゼルダの伝説』に今こそ立ち返るべきなんじゃないかな。もう海も船も汽車も猫目もタッチパネルもいったん忘れて、ゼルダシリーズをいったんリセットする時が来たんじゃないかと思うんである。そして是非とも『ゼルダの伝説』のアイデンティティを再確認して欲しい。据え置き機では難しいだろうから、リセットするならDSがいいと思う。

あと、物語的な脈絡とかシリーズの関係性みたいなものを忘れて、もう少しいい加減に考えたほうがいいんじゃなかろうか。個人的には、前作の何100年後がどうとか前作のキャラクタの子孫がどうとか、本当にどうでもいいと思う。『リンクの冒険』(1987年)の墓碑銘「ユウシャ ロト ココニ ネムル」とか、『神々のトライフォース』(1991年)のデブ妖精の言葉「私がちょっぴり太めなのはガノンの魔力のせいなんだから」ぐらいの余裕があってもいいと思うんだが、どうだろうか。何でもかんでも初心に戻るのが是とは言わないが、少なくとも『夢幻の砂時計』路線を続けて行くのはかなり無理があると思う。ぜひご一考いただきたいところだ。

全然関係ないけど、全世界で1,000万本って聞くとなぜか私が思い出すのがニルヴァーナの「ネヴァーマインド」だ。「1,000万本といえば●●」、あなたは●●にどんな名前を入れますか。