ニンテンドー3DSの3DボリュームをOFFにしたら、なぜかほっとした


モノクロ液晶、PSG音源、8ビットのCPU。初代ゲームボーイが発売となったのが1989年だった。
あれから22年。裸眼立体視機能、サラウンド機能、より強化された通信機能など先進の装備を引っさげて、ついにニンテンドー3DSが発売となった。
私も発売日に入手することができたんだけど、これは本当にとてつもないゲーム機だ。歴代の携帯機のみならず、Wiiをはじめとする据え置き機も含めあらゆるノウハウを結集した「任天堂の歴史の集大成」という印象である。言っても伝わらないかもしれないが、『バーチャファイター』のデュラル、『ストリートファイターIV』のセスみたいな感じだ。
中でも外せないのが、ニンテンドー3DSの代名詞とでも言うべき裸眼立体視機能。立体でもないものが立体に見える。掛け値無しにすごい機能なのは確かである。しかし、しばらく3Dボリューム最大でゲームや3D写真を楽しんでから、ふと3DボリュームをOFFにして画面を2Dにしてみると、「物足りない」と感じると同時に、なぜか「ほっとする」のである。

これまで、立体映像と平面映像はハレとケの関係にあった。家に3Dテレビ(や8ビット機の3Dグラスや任天堂の赤いやつ)がある人でない限り、映画館に行って3Dメガネをかけなければ見ることができないのが立体映像であり、それはまさに「非日常」だったのである。
その非日常が、携帯機であるニンテンドー3DSによって突然「日常」に持ち込まれた。今まで、映像が鮮明になったり画面がふたつになったり画面がタッチできたり、という進化はAV機器やゲーム機にあった。しかし、リアルタイムで生成される立体映像で遊べるゲーム機が大量生産され、しかも日々の生活において携帯されるというのは歴史上かつてなかったことである。
私が「3DボリュームをOFFにしたらほっとした」理由は、まだこの「非日常」が「日常」に溶け込んでいない、ということかもしれない。いつかそれが完全に日常の一部となったとき、「立体映像なんて慣れたらどうってことないよね」で終わってるのか、それとも「もう立体映像じゃない世界には戻れない」となるのか。

まずは3DSがたくさん売れることが前提ではあるけれども、世界中の人々の日常に立体映像が溶け込み、さらに3DSの強力な通信機能で人々がつながったとき、何かどえらく面白いことが起きるのかもしれないし、任天堂のロードマップにはすでにその「どえらく面白いこと」が太字で書かれているのかもしれない。
だけど、私はそれが実現するのが何だか不安だ。今でさえ生活の中にありとあらゆる「面白いこと」が蔓延し、消費しきれない「おもしろ」の在庫が山積みになっているというのに、そんな「どえらく面白いこと」を受容するゆとりが、私の人生にあるんだろうか、と思うのである。
それは、私が「3DボリュームをOFFにしたらほっとした」もう一つの理由なのかもしれない。それこそが、任天堂が提供する「おもしろ」に抗うための唯一の手段なのである。ついでにWIRELESSスイッチもOFFにすれば完璧か。
まあ、そもそもニンテンドー3DSを買わなきゃいいだけの話なんだけど。